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第七巻 34
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十一味唐からし賣

唐からしを賣
八研堀をはしめ
神田の天狗や
等其数多し此唐
からし賣は明治
十一年頃に専ら
市中を行商せしも
其後 如何せしにや
  見かけさるに至りし也

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「八研堀」は「薬研堀 やげんぼり」

大きい唐辛子をカバンのように掛けているスタイルは面白い。崋山「一掃百態」に先例がある。目賀田介庵「浮世絵巻」も引いておく(ここ)。

寺田寅彦「物売りの声」(昭和10年1935)に、「七味唐辛子」売りだが、次のような詳しい記述がある。
七味唐辛子を売り歩く男で、頭には高くとがった円錐形の帽子をかぶり、身にはまっかな唐人服をまとい、そうしてほとんど等身大の唐辛子の形をした張り抜きをひもで肩につるして小わきにかかえ、そうして「トーン、トーオン、トンガ * シノコー(休)、ヒリヒリカラィノガ、サンショノコー(休)、ゴマノコケシノコ、ショウガノコー(休)、トーントーントンガシノコ」と四拍子の簡単な旋律を少しぼやけた中空なバリトンで歌い歩くのがいた。その大きなまっかな張り抜きの唐辛子の横腹のふたをあけると中に七味唐辛子の倉庫があったのである。この異風な物売りはあるいは明治以後の産物であったかもしれない。青空文庫による
寺田寅彦の唐辛子売はバリトンだから男である。(* には、原文では小さな四角形が書いてある。つまり、「トンガシノコー」と「ラ」をはっきり発音せず、何らかの“抜いた”音声が発せられたことが想像される。

巻六-42 てんぐや十七味唐がらし賣があった。ところで「明治十一年」と「十一味」と関連あるか。

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