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第八巻 86
「に」 が余分にある。 「下駄の歯入れ」は文政三年(1820)ころから始まったという。 文政三年頃迄は、足駄歯入と云ふて、古へより商人来りて、下駄の歯入替る事はなく、下駄は皆挽木の侭なりしが、此頃より下駄も歯を入替る事始りけり。(『宝暦現来集』巻六) 江戸の雪駄直しは非人に属していた。巻三-09 「雪駄直し」、巻三-58 「雪駄直し」。雪駄直しが下駄の歯入れも兼ねた。 仲田定之助『明治商売往来』(ちくま学芸文庫 p153)に「でいでい」の雪駄直しが下駄の歯入れも兼ねていたが、大正時代になって「でいでいの呼び声をあげるかわりに、ポンポン、ポンと鼓を打ってやってきた。そしてもう、でいでい屋とはいわずに、歯入れ屋と呼ぶようになっていた」と書いている。これは、晴風と符合している。 |