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第二巻 18
「御日和の御きとふ(祈祷)」とあるように、上天気を祈った。てるてる坊主のことを西日本では「日和坊主」ということがあるそうだ(宮田登。これはウィキペディアの妖怪「日和坊」による)。 「つるへ銭」は、ここでは「 「さし銭」は巻一-33「木綿賣」、巻一-49「寒垢離山臥」に出ていた。「緡」の押し売りの話題は、巻五-28さし賣がゑん。 日本の中世遺跡から、銅銭が何十万枚とまとまって出土することがあるが、その中に「さし銭」となっているものがある。百文が「1さし」とされていることが多いが、その1さしは96枚ぐらいである。つまり、96文を百文として通用させていたということで、これを 十返舎一九『東海道中膝栗毛』(四篇上)には、「 「然らばソレ 八銭も遣はそふ」トくはんざしより八文ぬいてやる云々。(岩波古典体系本 p187)いまわれわれが小銭入れを持つような感覚で、穴明き銭を集めた銭緡を使っている。逆に言えば、穴明き銭は携帯に便利だった。 |