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第三巻 71
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六十六部


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第一巻に「廻国六部」と「廻国六十六部まはり」があった。
握り飯を食べているらしい。握り飯を食べている図は初めて見た。この原画は「広重人物画稿」のこれ

笠の模様、担いでいた厨子などから、この六十六部は千手観音であるように思える。

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明治四年1871に「六十六部 禁止」が布告されている。
平民廻国修業の名儀を以て、六十六部と称し仲間を立、寄宿所を設置、米銭等の施物を乞ひ候儀、自今一切禁止候事。
但、従前寄宿六部共の内、脱籍の者は復籍規則に照準し、其本貫へ帰籍可為致事[致さすべきこと]。
「太政官日誌」明治四年十月十四日
本貫地から籍を抜き寄宿所を持つ、六十六部のプロ集団が存在していたことが分かる。こういう宗教的プロ集団が「施物を乞う」て生活することを明治新政府は容認しなかった,ということであろう。

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