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第三巻 71
第一巻に「廻国六部」と「廻国六十六部まはり」があった。 握り飯を食べているらしい。握り飯を食べている図は初めて見た。この原画は「広重人物画稿」のこれ。 笠の模様、担いでいた厨子などから、この六十六部は千手観音であるように思える。 明治四年1871に「六十六部 禁止」が布告されている。 平民廻国修業の名儀を以て、六十六部と称し仲間を立、寄宿所を設置、米銭等の施物を乞ひ候儀、自今一切禁止候事。本貫地から籍を抜き寄宿所を持つ、六十六部のプロ集団が存在していたことが分かる。こういう宗教的プロ集団が「施物を乞う」て生活することを明治新政府は容認しなかった,ということであろう。 |