き坊の近況 (2019年12月)


旧 「き坊の近況」

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日々の見聞や関心事を示して、自分の心的近況を表そうとしている。とくに準備なしで書けるような、「朝刊を開いてひとこと」というようなことを試みている。さらに、生活上の随想なども書く。

12/4-2019
福島第一の排気筒 人力で切断着手 作業員被ばくリスク(東京新聞)


クレーンでつり上げられたかごから作業員3人が切断装置に乗り
移り、人力による切断作業が始まった=3日午前、福島県大熊町で

東京電力は3日、福島第一原発1、2号機建屋脇に立つ排気筒(高さ約110メートル)を、人力で解体する作業を始めた。筒本体を輪切りにする遠隔操作の切断装置が不具合で使えなくなったためで、8月に始まった解体は、作業員が被ばくのリスクを負う人力に頼ることになった。

東電によると、3日午前7時すぎ、作業員3人が乗ったかごがクレーンで高さ110メートル付近までつり上げられ、筒頂部の切断装置に乗り移った。装置の発電機が燃料切れのため、作業員は軽油100リットルを補給した。

計画では筒外周に設置されている足場の状況を確認後、足場の下にある筒本体の切断面に沿って、ディスクグラインダーという充電式電動工具で切る。解体は32ブロックある工程の4ブロック目まで進んでおり、切断装置で切りきれなかった1・3メートル分を人力で処理する。

作業員は顔全面を覆うマスクと防護服、火花で燃えない服も着用。約1時間の作業で0・1ミリシーベルト程度の被ばくが避けられない。

排気筒解体は頂部から筒本体を2~4メートルずつ輪切りにしていき、来年3月までに高さを約60メートルにする予定だが、トラブル続きで遅れている。(写真も 東京新聞12/3)

311事故の際、ベントで使われたこの排気筒は極めて高濃度の放射性物質で汚染されており、人が近づけない。海際のこの排気筒はヒビ・腐食などが進み倒壊の危険性があり、できるだけ早く解体することが求められている。

遠隔操作で上部から輪切りにして解体していく工法がとられているが、様々なトラブルが次々に生じ、今年3月着工の予定が5月に延び、いざ着工しようとしたらクレーンの高さが足りなかったなどで更に延期(本欄5月14日)。実際の解体着手は8月はじめから。
しかしトラブル続きで、輪切りをするカッターの刃が食い込んで動かなくなったという今回と同様のトラブルもすでに何回か発生している(たとえば本欄8月24日)。

作業員の被曝がまず心配されるが、周辺への放射能物質の拡散も懸念される。トラブル続きで地元の人々の不安はいかばかりであろう。


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12/7-2019
LITERA(リテラ)12月5日に「徴用工問題で日本の元外務官僚が「韓国に100%の理、日本に100%の非」「日韓対立は安倍政権に全責任」と断言する理由」(横田一)という興味深いレポートが載っていた。近頃この分野を勉強していなかったので、とても啓発された。
内容は、浅井基文氏の講演(9月25日)に取材したもので、浅井氏のかねての所論を要領よく紹介している。この講演の動画はIWJ(ここ)に置いてある。

浅井基文氏は1941年生まれ、外務省に入り条約局国際協定課長(1978~80年)・アジア局中国課長(1983~85年)などを歴任し、退職後は東大教授・明治学院大教授など。氏の思想と立場は「21世紀の日本と国際社会」というサイトにある膨大な量の論文などで分かる。わたしはそのうちのほんの僅かをつまみ食いしただけの、おそまつ読者である。

氏のサイトの「コラム2019」にある「日韓関係を破壊する安倍政権」(9月21日)に、国家と国家が条約を結ぶ際の“現場責任者”ともいえる「条約局国際協定課長」の職に在った経験を生かした具体的で分かり易い解説が述べられている。
まず、「従軍慰安婦」や「徴用工」に関して安倍内閣の韓国に対する主張は1965年の「日韓請求権協定」締結の時点では正しかったという浅井基文氏の記述。
私は、25年間外務省に勤務し、その中でアジア局や条約局に勤務したことが合計9年間ありましたので、1965年日韓請求権協定で解決済みとしてきた日本政府の主張は理解しています。すなわち、当時は個人の請求権は国が肩代わりして解決することができるというのが国際的な理解であり、日本が独立を回復したサンフランシスコ平和条約における請求権問題に関する規定もそういう考えに立っています。1965年に日本が韓国との間で請求権の問題を解決する時にも、サンフランシスコ条約(1952)以来の国際的な理解に基づいて事を処理したということです。それは日本だけの主張ではなく、世界的に認められていました。(「日韓関係を破壊する安倍政権」)
第2次世界大戦までは国と国との取り決めが高位にあり、個人(国民一人一人)の権利は国が代わって権利実現するという考え方が普遍的であった。「個人の他国に対する請求権は、母国が肩代わりして請求し実現する」ということだ。この考え方を前提とすれば、韓国の請求権問題は、韓国人個人の請求権も含めて、1965年の「日韓請求権協定」で解決済みとなるわけだ。戦争処理の一つであったサンフランシスコ条約(1952年)もこの考え方によっている。これがまた現在の安倍内閣の主張でもあるわけだ。

ところが、第2次世界大戦であまりにもひどく踏みにじられた人権の惨状を踏まえて、「国家権力を超える人権」という発想が強く意識されるようになっていった。その最初の結実が「世界人権宣言」(1948 パリ・国際連合総会)であるが、これは法的拘束力が無く、実効性がなかった。そこで、国連の人権委員会が直ちに検討に入り、それが結実したのが「国際人権規約」(1966年 国連総会で採択、1976年発効)である。日本も国際人権規約を1979年に批准している(「公務員のストライキ権」など一部留保しているものがある)。
「国際人権規約」はウイキペディア(ここ)でもいいし、神戸大学のサイトが分かりやすい(人権について)。

「国際人権規約」は2分野からなり
    社会権規約(A規約):経済的、社会的、文化的な権利に関するもの
    第1条:人民の経済的、社会的、文化的自決権
    第2条:締結国はこの規約の認める権利実現のために行動すること。
    第3条:男女の平等
    第4条:公共の福祉のために限り、本規約の権利を制限することができる。
    第6条:労働の権利、自由に選択する労働によって生計を立てる機会をうる権利。
    第7条:良好な労働条件、公正な賃金、同一労働同一賃金、男女平等など。
    第8条:団結権・争議権。
    第9条:社会保障の権利。
    第10条:家族に対する保護・援助、婚姻が両当事者の自由な合意に基づくこと、母親の保護、児童の保護。
    第11条:相当な生活水準の権利、飢餓から免れる権利。締結国は世界の食糧の均衡な配分を確保すること。
    第12条:到達可能な最高水準の身体および精神の健康を享受する権利。医療と看護の確保。
    第13条:教育の権利。
    第14条:無償の初等義務教育の確保。
    第15条:文化的・科学的な生活に参加する権利。
    第16条:締結国が条約上の義務を履行しているか、その報告を定期的になす義務がある。国家報告制度

    自由権規約(B規約):市民的、政治的権利に関するもの
    第1条:人民の自決の市民的、政治的権利
    第2条:締約国はそのすべての個人に対しこの規約がのべる権利を尊重し確保する。また必要な立法措置をとる。
      公的資格で行動する者によってその権利・自由が侵害された場合にも、効果的な救済措置を確保する。
    第3条:市民的、政治的権利は男女平等に共有されることを締約国は約束する。
    第4条:非常事態における例外
    第5条:保護の基準
    第6条:生命に関する権利。何人も、恣意的にその生命を奪われない。死刑に関して。
    第7条:拷問や残虐な刑の禁止。
    第8条:奴隷状態の禁止。
    第9条:身体の自由と安全について権利を有する。逮捕、抑留のための条件。
    第10条:被告人と取扱、行刑制度について。
    第11条:何人も契約上の義務を履行できないことのみを理由にして拘禁されない。
    第12条:移動、居住、出国の自由がある。ただし法律で定められ、この規約の他の権利と両立する場合はその限りではない。
    第13条:合法的にこの規約の締結国内にいる外国人は、法律に基づく決定によってのみ国外追放ができる。
    第14条:すべての者は公正な裁判を受ける権利がある。
    第15条:遡及処罰は禁止である。
    第16条:すべての者は法律の前に、人として認められる権利を有する。
    第17条:私生活・名誉・信用を不法に犯されない。
    第18条:思想・良心・宗教の自由。
    第19条:表現の自由。
    第20条:戦争のための宣伝を禁止する。差別・敵意・憎悪などの唱道は禁止する。
    第21条:集会の自由。
    第22条:結社の自由。
    第23条:婚姻の自由。
    第24条:児童の保護。
    第25条:選挙および公務へ参与する権利。
    第26条:法の前の平等。人種・皮膚の色・性・宗教等々のあらゆる差別を禁止する。
    第27条:少数民族の保護。
上に掲げたのは、この規約がどのような分野・事柄に関して述べているのかを断片的に例示しているに過ぎず、けして網羅したわけでも厳密でもない。規約はかなりの長文であり、法律の文章であるから持って回った難解な表現のところもある。

浅井基文氏が国際人権規約を直接引いているところを参照しよう。
国際人権規約B規約第2条3項は、「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること」と規定しています。この規約において認められる「権利」や「自由」を「侵害された者」とは、従軍慰安婦問題や徴用工問題との関わりでいえば、第7条と第8条3項(a)が重要です。第7条は「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」と規定しています。これはまさに「従軍慰安婦」にぴったり当てはまります。また第8条3項(a)には、「何人も、強制労働に服することを要求されない」とあります。これがまさに徴用工の問題にあたるのです。
ですから、元「従軍慰安婦」の方々、徴用工の方々は日本国に対して効果的な救済措置を講じるように要求する権利があることがはっきり言えるのです。
日本国のような「公的資格で行動する者」によって救済措置の権利が妨げられている元「従軍慰安婦」の人や、元「徴用工」の人は、その救済措置を日本国に対して要求する権利があるのだ。「公的資格で行動する者」というのは大変広い概念規定である。「私的人格や集団」以外ということだ。国家であろうと地方自治体であろうと当てはまる。「すべての個人」が救済措置を要求する権利を有するし、この規約の締結国(日本)はその権利実現のために努力する義務があるのである。

1965年の「日韓請求権協定」締結をしていたとしても、国際人権規約を日本が批准した1979年以降は、韓国の元「従軍慰安婦」や元「徴用工」の個人からの要求を実現する義務が日本側にあるのである。いまの安倍内閣が主張しているように、「日韓請求権協定」によって”日韓の間のすべての請求権問題は消滅した”というのは国と国との間では消滅したという意味であって、日本が国際人権規約を締結した以上は、韓国の個人からの請求権は当然認めざるを得ないのである。それが国際的なルールである。それを無視して(それどころか、居丈高に韓国は常識がないと言わんばかりの口吻を吐いているのは)大恥ものである。
世界の大国では中国がこのB規定を批准していない(署名はした)のは、ウイグル問題などを抱えているから当然だと考えられなくもないが、逆に言えば、B規定を批准すればウイグル人の権利侵害を犯している自国政策と矛盾することを正確に認識しているともいえる。安倍内閣が自己矛盾に気づかず(気づかないふりをして)韓国を見下すような態度を取っている国際的恥さらしよりは、その限りで、ましかも知れない。


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12/14-2019
伊方原発、定検で使用済みMOX燃料16体取り出しへ 商用原発で初(毎日新聞)

四国電力は12日、伊方原発3号機(愛媛県伊方町)で26日から定期検査を行い、使用済みとなるウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料16体を含む燃料集合体37体を新燃料に取り換えると発表した。四電によると、国内の商用原発で使用済みMOX燃料を取り出すのは、プルサーマル計画の閣議了解(1997年)後、初めて。取り出したMOX燃料は当面、3号機の使用済み燃料プールで保管される予定。

MOX燃料は、使用済み核燃料を再処理し、ウランやプルトニウムを取り出して再び加工した核燃料。伊方では仏から輸入したMOX燃料で、2010年3月からプルサーマル発電を実施。新燃料の一部としてMOX燃料5体を使い、プルサーマル発電を続ける。

国と電力会社が進める核燃料サイクルでは、使用済みMOX燃料の再処理の見通しは立っておらず、原発内で長期保管される可能性がある。四電の山田研二原子力本部長は12日の記者懇談会で、伊方での保管期間について「現時点で申し上げられない」とした。

資源エネルギー庁によると、プルサーマル発電は九州電力玄海3号機(佐賀県)、関西電力高浜3、4号機(福井県)でも実施。日本原子力研究開発機構によると、使用済みMOX燃料は、商用炉以外では高速増殖原型炉「もんじゅ」と新型転換炉「ふげん」(いずれも福井県)で既に取り出され、燃料プールなどで保管されている。(毎日新聞12/12)

本欄11月30日で、「使用済みMOX燃料」がやっかいで長期間保存が必要なしろものであることを強調しておいた。一般の「使用済み核燃料」でも引き取り手がないのに、使用済みMOX燃料は原発から取り出してもどこへも持って行くあてがないのだ。地下深くへ貯蔵しても500年間の保存・管理が必要と言われているが、そんな長期間原発敷地内に保存・管理しておくことになるのである。今から500年前といえば日本の戦国時代の中期だ。鉄砲は伝来しておらず、信長もまだ生まれていない。これは原発の敷地が使用済みMOX燃料の事実上の最終処分場となることを意味している。。

原発を地元に誘導して大いに利益を得たつもりの人もあるのだろうが、自らの子孫たちがどんな苦労をすることになるか、想像力を働かせて考えて欲しい。中央の政治家や官僚たちはいかに愚かな政策決定をしたのか、自覚しているのだろうか。
核物質の最終処分場を国内に建造することは、ほとんどの国で失敗している(できているのは20億年前の岩盤を持つ「オンカロ」のフィンランドだけ)。地球プレートが複雑にぶつかり合っている日本列島は世界でも稀な火山・地震の多発国であって、最終処分場が建造できる見込みはない。つまり、現存の原発のそれぞれの敷地が事実上の最終処分場となることを日本人ははっきりと覚悟する必要がある。


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12/23-2019
除染で出た土「安全性問題ない」 農地利用の手引き作成へ(NHK)

福島第一原発事故の除染で出た土の再生利用について環境省は、福島県飯舘村で行っている実証事業の結果、安全性に問題は出ていないとして、農地としての再生利用に向けて手引きを作成する方針を示しました。

環境省は、原発事故に伴う除染で出た土のうち、放射性物質の濃度が一定の基準を下回ったものを全国の公共工事などで再生利用する方針で、昨年度から福島県飯舘村の長泥地区では農地として利用する実証事業を行っています。
19日、専門家による検討会を開いて実証事業の進捗状況を報告しました。

この中で環境省は、除染で出た土を通常の土で覆い、作物を試験的に栽培したところ、周辺の空間線量などに大きな変化はなく、作物から検出される放射性物質の濃度も想定より低かったとして、安全性に問題は出ていないと説明しました

そのうえで、農地としての再生利用に向けて、造成する際の手続きの進め方や、盛り土が崩れた場合は環境省が調査や土の回収を行うことなどを定めた手引きを作成する方針を示しました。

環境省は、実証事業に引き続き問題がなければ飯舘村の長泥地区で来年度から準備工事を始め、再来年度=2021年度から、除染した土を使った農地の造成を始める計画です。(NHK12/19)

わが国の環境省というところは、こういうデタラメで悪辣な判断を下す役所であることをきちんと記憶しておこう。「除染」というのは放射線量が一定値以上の危険な物資や(今の場合は)土を集めて人が近づかないように隔離して保存しておくことを意味する。その基本理念は放射性物質は人に近づけないということだ。つまり放射性物資は隔離するということだ。「除染で出た土」、つまりは「汚染土」ということだが、それは人と隔離しておくのが原則なのである。

除染作業で一度隔離された汚染土を、その量があまりにも多量であると言って「農地」に混ぜ合わせて再利用しようとしているのである。
環境省が「実証事業」で示そうとしているのは、しかるべき手続きで処理した(例えば汚染土を持ち込んだ試験農場の上に一定の厚みになるように清浄な農土を撒く)実証農場で作物を育て、農場環境の空間線量を測定しそれが規制値以下であることを確認する。確認されれば、安全であるとするのである。「安全」という指標が出るように設定して実証実験を行うのであるから、決まった手順で行えば「安全」という結論が出るに決まっている。

彼らの安全指標の要になるのは「空間線量」なのである。これが彼らのポイントだ。「空間線量」は汚染土などが放射するガンマー線を測定する。ガンマー線は波長の短い電磁波の一種でX線もその仲間と考えてよい。ガンマー線は電磁波なので空間を遠くまで到達する。人体が照射されれば「外部被曝」となる。したがってガンマー線を測定して外部被曝を避けようとすることは重要である。重要であるが、それで安心だとはいえない。放射能で気をつけなけれはならない「内部被曝」というものがあるからだ。

環境省の言う通りにして汚染土をまぜた農地を造成すれば、いずれは汚染土が土埃となって舞い上がり、舞い散ることがありうる。直接には農作業をしている人たちがそのほこりを吸い込むことがある。周辺に住む人々、周囲を通る人々も呼吸で放射性物質を含む土埃を体内に入れることになる。
汚染土は雨水と共に流れ下ることもありうる。もし豪雨があれば洪水と共に広範囲に汚染土が流れ出る。その汚染範囲は特定できなくなり、はっきりしない広い範囲に汚染物質が拡散する。拡散するから放射線量は薄められ「空間線量」は小さくなり、「外部被曝」は問題なくなる(と環境省は言うだろう)。

しかし、広範囲に汚染物質が拡散するということは、土埃となったときそれを体内に取り込む可能性が広範囲の人々にとって増大することになる。土埃を体内に入れると、放射性の微粒子が体内に固着し長いあいだ体内で放射線を出し続けることになる(「固着」する様子は元素によって異なり、ストロンチウム(Sr90)などは一生骨に固着し続ける)。すると、それがガン細胞の発生源となったり、長期に渡る体内被曝によって体調を悪化させ、多様な健康被害をもたらす。
つまり、内部被曝はたとえ低線量であっても、体内の細胞一つ一つというような極く小規模な範囲に長期間被曝を与え続けるので、数十年後に人体が深刻なダメージを受けることがありうるのである。ここでは議論を省略しているが、汚染土で育てられた作物に放射能がどれだけ移るか、(例えば牧草栽培などの場合も)それが人の食物になってどれほど人体に取り込まれるかという深刻な問題もある。

それに対して「外部被曝」は体の外からガンマー線が放射されて体にぶつかり細胞がダメージを受ける(ことがある)という現象である。たとえば、畑の土に汚染土が混じってあれば、それから出た放射線(ガンマー線)が農作業する人などを照射する。それは危険であるから避けるべきだが、一定の制限量(たとえば311事故以前の制限量・年間1ミリシーベルト)の範囲で“我慢しよう”という国際的な取り決めがなされている。“我慢しよう”というだけで、決して安全な量だということではない。被曝量は少なければ少ない方がよい。
腹立たしいことにわが国政府はこの制限量を一気に年間20ミリシーベルトに引き揚げてしまった。この量を基準にして福島の人々の避難を止めさせるなどの暴政を現に行っている(近頃読んだHok Netの良記事「国連の勧告「年間1ミリシーベルト以上の被ばくは許されない 」を無視する日本政府」2019-10/8 を紹介します)。

「外部被曝」は体外から主としてガンマー線によって照射される現象をいう。したがって、その場所から遠ざかれば(避難すれば)避けることができる。「内部被曝」は体内に取り込んだ放射性物質によって引き起こされる被爆を言うから、一度体内に取り込んだ放射性物質は体の生理作用で排出されるまでは被曝が継続する。内部被曝はガンマー線だけでなく、アルファ線やベーター線も深刻な影響を及ぼす。
環境省は外部被曝しか問題にしておらず、内部被曝は無視した議論をしている。


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12/30-2019
本気の思いつなぎ新局面つくる れいわ新選組全国ツアーに同行して 記者座談会(長周新聞)

上に掲げたのは、「れいわ新選組」についての中身のある素晴らしい長周新聞の記者座談会である(ここ)。長周新聞は山本太郎のすべてのツアーに記者を派遣し取材してきたそうだが、その記者たちの座談会である(12月28日)。

れいわ新選組のこの運動が来年の新しい潮流を造り出していくことはまちがいない。ことに、ボランティアが自主的に集まって個々の才覚と意欲で一軒ずつポスターを貼らして欲しいと声を掛ける活動をしている様子には感動した。
SNSで発信される情報にもとづいて、見ず知らずの人たちが集合場所に集まる。3~4人ほどのグループで地域を分担して散らばり、一軒ずつインターホンを鳴らして「お願いします」とポスター掲示を依頼していく。「思いもよらないところで貼ってくれた」ということもあるが、2時間、3時間回っても1枚も貼れないときだってある。でも、はじめは緊張していた人たちも一日経験してみるとみんな晴れ晴れとした表情に変わっていた。

「一人で何かしようと思っても無理なことが多く、いろいろ頭で考えていてもなにも動かない。いろんな人の意見や力や知恵を集めていけば変えていける。安冨歩さん(経済学者、東大教授、れいわ新選組から今年の参院選に出馬・落選。女装していることでも知られている)が“山本代表を使って自己実現していく”と話していたが、実際にボランティアに参加してみて、みんな偽善や自己満足のために運動しているのではなく、みんなのためでもあるけど、自分のために世の中を変えていこうとしているし、そういう人たちがたくさん集まり始めていることに気付いた」(40代・母親)

自分が「一支援者」というだけではそこ止まりだが、実際に当事者として動くことで関係も緊密になり、一人一人がみんなのために働く運動体になっていく。社会を変えるために自分を変え、周りを変えていく。ポスター活動がそれを促していると思った。
戦後の左派の政治運動の主流であった社会党や共産党の“プロの政治家が大衆を指導する”という運動理念を大きく転換し、“皆さんこそが国の主人公だ”という山本太郎の呼び掛けは新しい潮流をつくり出しつつある。
「政治は信じるものではない。宗教でもアイドルでもない。政治家は期間限定の雇われ人に過ぎない。この国の主人はみなさんであり、政治はしっかり監視して動かしていくものだ」(山本太郎)の言葉に集約されると思う。この間の国政の動きを見ても、「桜騒動」の陰で日米FTAは米国要求通りのスケジュールで国会承認され、野党にも体を張って止めるという気概はなかった。

自民党でも公明党でも、他の野党でも、れいわ新選組であっても、支持者は「信者」や「応援団」になるのではなく、政治を動かす「主人公」であり「当事者」であるべきと山本代表は強く訴えていた。
YouTubeに沢山アップされている山本太郎の演説会を視聴してみればすぐ分かることだが、山本太郎は経済理論を展開してその内容はけして易しくないし、山本太郎は聴衆におもねるアジ演説をしているわけではない。しかし、会場に溢れる熱気たるや凄いものだ。
山本代表は、れいわ新選組が掲げる消費税廃止などの政策とあわせて、従来の「財源がないから増税」「赤字なのだから緊縮財政は避けられない」などといった既成概念を覆し、「政府の借金=民間の黒字」の仕組みや自国通貨発行権を持つ日本は税収にかかわらず大胆な国債発行が可能であること、税は過剰なインフレを抑制する景気安定装置であり、デフレから脱却するためには大衆課税を軽減して消費を喚起する必要があることについてくり返し説いていた。

世界一生産性の高い国でありながら、カネのために人間が縛られ、部品のように消費され、命まで奪われる異常な搾取の構図にメスを入れ、その支配からみんなの頭を解放することに力点を置いていたと思う。対話を重ねるたびに「政治とはこの国に生きる人人を救うために機能すべきものだ。争うのは労働者同士でもなく、外国人労働者でもなく、人人を政治からはじきだすことによって政治を好き勝手にコントロールしているわずか1%の財界とその代理人だ」という方向性を鮮明に訴えていたし、そのために団結できるすべての人と力を合わせていくというスタンスがより強固なものになっていると感じた。対話のなかでの聴衆との相互の響き合いがそうさせていると思えた。
(上引はすべて長周新聞12/28より。強調などはすべて引用者)
れいわ新選組が意識的にターゲットにしている人々とは、長年にわたる日本の政治の腐敗(保守も革新も)それを暴こうとしない堕落したメディアに飽き飽きし、選挙があっても投票に出かけない国民約半数の人々である。

全国的ツアーに伴うれいわ新選組の行動が創り出しているボランティアたちの自主的な「運動体」は、今後大きな力を発揮するものと思われる。それも決して政治的アクティブの集まりとしてではなく、「山本代表を使って自己実現していく」(安富歩)という自己実現の運動として結集していくのであれば、わが国の新しい社会運動として意義深いと思う。




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